大阪市の片隅の区長はこんなのです
我が住吉区の区長、吉田康人氏。
2月の広報で教育対談をしていますが、そこで今の教育問題の原因として、次のように言います。
『「社会全体の義務」 よりも 「個人の権利」 の方が重視される風潮にな ってきているように感じます。』
【参考】☞http://www.city.osaka.lg.jp/sumiyoshi/cmsfiles/contents/0000351/351303/20170206.pdf
いやいや。
「個人の権利」を軽んじて、国を上に置いて、国民を「お国のために」戦争へと駆り立てた反省の下、今の憲法ができて、「個人の尊厳」を重視する戦後日本社会が確立されたんでしょう?
またこの区長。2013年の成人式で「特攻隊」の話をしました。
「もし自分の命を懸けることでしか家族を助けることができないという場面に出くわした時、本当に死ねるか」と切り出した区長。
特攻隊の話を『私達日本人の家族や国家、あるいは、未来に対する伝統的な価値観が凝縮されている』と話し出します。
中身といえば、飛行兵の教官が教え子が特攻で死んでいくのに、自分が生き残っているわけにはいかない、と思っていたところに、夫の特攻出撃の妨げになっていると感じた妻が3歳と4か月の娘と無理心中する。そして、教官本人は本懐を遂げる…。
詳しくはこちら☞
大阪市住吉区:吉田区長のブログ(平成25年1月) (…>企画課>広報)
いやいや、「家族を助ける」ために死んだんちゃうやん!
ほんで、こんなん日本人の家族の伝統的な価値観ちゃうやろ(´・ω・`)
戦前戦中だけの限られた価値観でしかないと思いますよ。
日本人の家族の価値観というなら、小倉百人一首の和泉式部の歌を見てみましょう。
あらざらむ この世の外の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
和泉式部は恋多き女性だったようですが、死が迫る中、もう一度、愛するあなたに会いたい!という、この狂おしいほどの人への愛。(この会いたい相手が誰だったかは定かではないですが、離婚した元夫だったのでは?という推論もあります(馬場あき子の「百人一首」)参照。)
こうした人や命に対する執着というのか、愛着や慈しみ。こうした思いが表現された歌が何百年と日本人に愛され続けてきた事実があります。これこそ日本人の家族や人に対する伝統的な価値観ではないでしょうか?
侵略戦争の反省から出発した日本社会。お国よりも「個人の尊厳」を大切にすることによって、平和な社会を構築し、一人一人の幸せを実現しようとしてきました。
それをまたもや逆転させて、「個人の権利」を軽んじる我が町の区長さん。命への慈しみよりも、「潔く」「お国のために」命を捨てることを推奨する区長さん。
その区長さんが教育や道徳に乗り出しているわけで、大変危惧を抱きます。
一人一人の幸せのために、今の日本国憲法を生かした社会を作っていきたいです。
【つきお】